看護師になろうとする時に、看護師になってみたけどという時に

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人間が好きですか?

看護師がどんな仕事なのかは以前の記事で書いたことがあります。
やりがいがあるのは勿論ですが、最近は経済的な安定を考えて看護師を選ぶ方もいらっしゃいます。
それは決して悪いことではないのです。
看護師になる前に、看護学校に行くことになりますが入学試験では必ず「看護師志望動機」を書く事になるでしょう。なんだかわからないけど「何となく看護師になろうかな」という方もいらっしゃると思います。

この「何となく看護師になろう」という方は、もっともらしい看護師になる理由を考え出そうとします。いいんですよ、なんとなくでも。

でも、それでは看護学校に受からないですね。看護師に合格した方も現場の新人看護師として苦労するのでないと思われます。
だからこそ、「何故、看護師なろうと思ったのか」、「どんな看護師になりたいか」などを振り絞って考えていくことでしょう。
そんな中で大事なことは「人間が好きか」ということです。人が嫌いで看護師にはなれないでしょう。
それと、
長年看護師をしてくるとわかってくるのですが、「看護の感」というものが存在するんです。
それはエキスパートという経験からの「感」を持ち合わせているのでなくて、新人の頃から持ち合わせていると毎年の新人看護師を見ているとわかってきました。

この「感」を持ち合わせている新人看護師はでも持ち合わせていることがあるようです。
それは、勿論、看護の経験はしていないので看護の知識などでもないです。

ナイチンゲールは「患者が何を感じているか、患者に辛い思いをさせて言わせることなく、患者の顔つき、表情から読み取ることができることなのである。もし、この能力を持っていないのであれば、あなたは看護から身を退くべきである」と述べています

勿論、経験しているからこそ患者の観察ポイントを知っているということがあります。だから新人看護師であってわからないことはあるかもしれないけど「感じる力」が大切なのです。
他人に対しての「感じる力」とは人間嫌いでは成り立たないことだと思います。

だからこそ、実習から含めて経験することは大切です。その体験の一つ一つが看護観の形成になるのです。
しかし、現代社会は家庭ので看取りもなく、家族の病気は病院に任せている時代であることを考えると看護との触れ合いままで、看護師を何らかの理由で目指す人がいると思います。
冒頭で述べた「何となく看護師になろうかな」という人たちです。

この人達は、身内に看護師がいるのでもなく、病人が家にいたわけでもなく、誰かのお見舞いで看護師にあったわけでなく、「何となく看護師になりたい」訳です。

利他的に生きてみる

人は経験から現在を判断していきます。過去の経験が判断の基準であると思うと全く触れたことがない看護の世界で「どんな看護師になりたいか」「どんな看護がしたいか」などは考えるのが難しいでしょう。
今は看護学校へ入るための予備校などもあるので、予備校で志望動機を一緒にねってくれる時代です。
しかし、自分で経験していないことを作り出した文章だったり、雛形に合わせたような志望動機などは看護学校側も見抜くはずです。
では、そのように看護と触れ合ったことがない人がどのように「看護」を考えればいいのか?
これは難しく考えても出てこないことです。
実は答えは簡単で「利他的に生きてみる」ということで周りにいる人達を見ることができ、そこに看護が存在することがわかると思います。
看護とは「人の生きる力を最大限に活かす」ことですから。

そして、長く経験してきて、新人看護師や看護学生を相手に現場に立っていて、
「この学生は、卒後は自部署に欲しい」と感じる看護学生や、「彼女は今後、看護として伸びるだろう」と感じる新人看護師は共通するものがあって、

  1. 物事に感動して、感激できる心を持っている。
    これは、素直な心であるかもしれません。現場に立ち、出来ない自分に苛立ったり、焦ったり、不安になったりしているだけでなく、知らないことを教えてもらって知ることに素直に感動できるのです。この力が継続した学習につながっていきます。
  2. 努力していることを努力といとわない心をもっている。
    看護師は確かに楽な世界ではありません。例え看護学生であっても大変なことがあります。その大変だと感じていることを苦しいことばかりだけでなく、前向きに向き合うことが出来る心があるのです。
  3. 自分の役割をがむしゃらに、真剣に取り組める心がある。
    これは、前項の2と関わりますが、人生を半世紀近く生きてきた中で感じていることですが、人生必ず「がむしゃら」になる時があるのです。いつかは「がむしゃら」になるべきなんだと感じています。
    「やりきった」という感情は清々しく、自分に自身を与えてくれます。人の人生に左右をする看護師という仕事を学んでいる時に「がむしゃら」になれるか?その思いや感情を指導者は見ています。
    ちなみに「がむしゃら」とは「我武者羅」であり、これは当て字だったりするんだけど「ひとつの目標に向かって、後先を考えず夢中に行動すること」なんですよ。夢中になれるのか?ってことですね。
  4. 悪い結果は自分の責任である、という心をもっている。
    これは、他人の行ったことまで責任を担う必要はないです。しかし、実習に出て指導者に叱られた。このような時に確かに指導者の気分にムラがあることもあります。「自分はちゃんとしたのに指導者の方がイライラしていた」と言っても仕方ないことなのです。それはほかの人も困ることなので教員に伝えて現場に伝わることは大切でしょう。けれども、自分が叱られたことは自分の責任です。このように聞ける心があるか?ということです。悪い自分である、出来ない自分であると自分を責める必要があることを言ってはいないです。そこから何を学ぶのか?ということにつながるだけで、それは自分に責任あることを認めないと学べないからです。

以上のことは、普段の生活からの「自分の心」のあり方です。

 逆のことを現場で感じると、「何故、看護師になったのだろう?」「彼女は継続できないかも?」「看護師に向いてない」と 私は 感じることが多かったです。あくまでも私見ですので何とも言い難いのは否めないですが、参考にして頂けれえばと思います。

看護師の「勘」

 ちなみに、面白いもので経験を積んでいくことで意外な「勘」も養われてきます。勤務する前にラウドして患者さんと挨拶だけしただけで、今夜急変しそうとか、亡くなりそうとか、分かることがあったりします。
私は、何かを看護師として感じているだけだと思っていますが、当たって欲しくない「勘」です。
しかし、予期しているから対応も早くなるのです。同勤務者とも相談しておけます。
ある程度、医者が余命を告知するのと似ていますが、データばかりでなく、やはり「勘」なのです。「感」じていることです。実はそんな看護研究もされていたりします。暗黙知と言われたりしますが、頭の良さとかに関係しないそうですよ。
ベナーさんも、「エキスパートナース」と呼ばれる経験の持ち主は第六感のようなものがあると言ってますよね。このぐらいになると、現場は自分の考えるように動かせるようになりますよ。人は自由になりませんからご注意を。

看護師をこれから目指したい方、看護師にはなってみたけど、という方たちに是非伝えたいことだと思っていて綴ってみました。
ご自身の人生を看護と歩もうと思われている方は、是非、一度は自己を振り返ってもらえるキッカケになればと思います。自己を振り返り学びとして、利他に生きれば看護は楽しくなってきます。そして、実は人生さえも楽しくなると思いますよ。

鈴本 鈴

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鈴本 鈴
准看護師資格取得後、大学附属看護学校へ進学。 都内大学病院へ就職する。 25年勤務していく中で、手術室、ICU、救命救急、脳外科、消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、歯科口腔外科の診療科を経験。 勤務していく中で「働く看護師の精神的ケア」が必要と感じ、心理相談員の資格取得。 現場看護を行いながら、院内教育への参画。企画・実施・評価に携わり、看護研究での研修講師を担当する。 現場での看護師の教育に関わる中で、看護師同士の人間関係に悩み退職をしていく仲間達を支えていく中で院内からのアプローチには限界があると、実際の体験から学び、院外からのアプローチをするために退職。 現場の看護師が人間関係に悩むことなく、自分自身を持ち、軸を立てながら看護師を続けていけるための「生きやすさ」を見つけていくためのセミナーや志塾などの開設をしている。
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コメント

  1. けい より:

    はじめまして。10年前に看護師になり、今年で11年目を迎えました。
    最初は内科、そして、外科、リハビリ、整形、等をまわりました。
    最初5年は常勤として働き、あとの5年は契約で働いていました。
    初めの2年は、先輩のいじめとも取れるような厳しい指導なども受けたり、自分自身の勉強不足でうまくいかなかったり、また椎間板ヘルニア患ったりして精神的苦痛もあってやめてしまい、半年療養、それからまた常勤で働きましたが、やはり人間関係やなんとなくこの職場は合わないという確信がでてきて、なんで私看護師やってるんだろうと思うようになりました。そして2年後退職。
    今まで地元で就職していたのですが、これを機に県外へ出て契約であちこち5年くらい働きました。今は腰の調子がまた悪くなり休職中です。
    この五年を振り返ると、色々な方と出会えてとても楽しかった反面、私は看護師としてちゃんとやってるのか?という不安が出てきました。
    まわりと比べると新人の頃勉強もちゃんとやってなかったし、私が自信を持ってできることってほんとに患者さんとの関わりくらいだったのかなと思うようになりました。勉強したいけど、なぜか勉強する気がなく、ただテキストを開いて眺めるだけ。
    まわりはいろんなこと知ってて患者さんとの関わりうまくとれる、できるナースなのに。。私は。。と人と比べても仕方ないのてすが、なぜか10年経ってるのにこんなんでいいのかなぁなんて思いながらまたナースなんかやっていいのかと思う毎日です。
    自分自身がもっと積極的に勉強すればいい話なのですが、何から手をつけていいやら。。またどの科のナースになりたいという意思もなく、ただなぁなぁでやってきてるからこんなことになってるのかななんて考えたり。
    でも、仕事のこともあるけど、結婚も考えてしまう時期。。ほんとにどうなるのだろう?と。まだまだがむしゃらになれてないから、遠のく一方ですが、。
    でも、色々経験した中で勘は鋭くなった気がします。
    まだ色々模索中ですが、がむしゃらになれるようにまた復帰するときは頑張ろうと思います。この記事に出会えてよかったです。ありがとうございました。

    • 森田 よしあき 森田 よしあき より:

      けいさん
      まわりと比べると色々と不安になると思いますが、それはご自身が看護師としてしっかり働いてきたからこそ思うことではないでしょうか?逆に何も思わなかったり自信がありすぎるのは鈴本先生の言う「利他的に生きていない」ということになるのはないでしょうか?
      たしかにもっとがむしゃらに頑張っている看護師さんや何十年と看護師を続けている大先輩の看護師さんもいますが、けいさんご自身が体調のこともありつつも看護師という仕事をしっかり続けている、ということがとても素晴らしいと思います。

  2. 鈴本 より:

    けいさん
    コメントありがとうございます。
    記事に出会えて良かった、とコメント頂いて嬉しく思っています。

    看護師と言う仕事を考え、感じ、
    過ごされているのだなぁ、、、
    と思いした。
    私には、けいさんはがむしゃらの時期も経験されてると感じます。
    ご自分がいつか思える時が来ると思っています。
    けいさんの言われるように、これから意識しておとずれるがむしゃらもあるかもしれませんね(^_^)

    ご自分の体の声を聴いて、無理なく看護師を続けてくださることを願います。